やぶ久のそば
当店では、お客様に美味しい蕎麦を召し上がっていただくことを何よりの喜びとし、日々、研鑽を重ねております。
蕎麦は、通常4種類ご用意しており、それぞれ風味や特徴が異なります。蕎麦の選択に迷った場合は、店の者へ声をお掛けいただければ、詳しくご案内させていただきます。
ぜひ食べ比べをして、お客様のお好みの蕎麦を見つけていただければと存じます。
![]() 自家製粉そば(手打ち) 「自家製粉そば」はその名前の通り、必要分の蕎麦の実を当店にて丁寧に石臼で挽き、打ったお蕎麦です。蕎麦の実の甘皮まで入っておりますので、色は「黒め」のお蕎麦となっております。蕎麦粉の配合比率は、「自家製粉そば」の方が「手打ちそば」よりも5%ほど多く配合しております。 (冷たい蕎麦のみのご提供となります。) |
![]() 手打ちそば 製粉会社にて挽いた粉を使用して、当店にて「手打ち」したお蕎麦です。「手打ちそば」は蕎麦の実の中心部分を使用しているため、色は「白め」のお蕎麦となっております。 (冷たい蕎麦のみのご提供となります。) |
![]() 茶そば 茶そばは、冷たい蕎麦、温かい蕎麦からお選びいただけます。やぶそばでは、元々茶そばが伝統的蕎麦として、受け継がれてきました。 |
![]() 荒挽きそば(手打ち) 荒挽きそばの特徴は、蕎麦の噛みごたえや歯ごたえが他の蕎麦とは異なる点にあります。手打ちには 時間を要するため、1日限定10食までのご提供とさせていただいております。 ぜひ一度、ご賞味くださいませ。 (冷たい蕎麦のみのご提供となります。) |
※「自家製粉そば(手打ち)」、「手打ちそば」、「荒挽きそば(手打ち)」は、冷たい蕎麦のみのご提供となります。
温かい蕎麦は、茶そばでのご提供となりますので、ご了承くださいませ。
![]() 手打ち場当店2階・宴会場前にございます。 |
![]() 石臼製粉機石臼を1分間に十六回転で玄蕎麦を挽くと熱が発生しにくいため、蕎麦粉の変質を防ぐことができます。また、上下の石臼内に閉じ込めた状態で粉を挽くので、香りが損なわれず、しかも挽くと同時に粉を練る働きもします。 |
やぶ久の歴史
昭和13年(1938年)創業のやぶ久羽田総本店の歩みをご紹介します。
昭和13(1938)年~ | 「やぶ久 羽田総本店」創業。多摩川・大師橋の建設時に、橋のたもと近くにあった「やぶ久」より、先代・袖山勝太郎(※1) が支店として、当時の糀谷2丁目(現在の西糀谷3丁目)に創業。※残念ながら、現在、大師橋近くの「やぶ久」はありません。<戦時中は?>やり手で有名だった袖山勝太郎の妻・ツヤ(※2)が、子供3人を抱えながら 、今でいうテイクアウト専門店として店を切り盛り。戦時下では 東京都の指定配給業者として営業していました。 |
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昭和25(1940)年~ | ![]() 写真は、「鶴見やぶ久」店主の若かりし頃の出前風景。 当時は、「一度に大台(当店の天丼が8ヶ入る大きさ)を何台も担いだ!」という武勇伝も・・・! |
昭和34(1959)年~ | 1度目の店舗改築。木造2階建の店舗兼住居は、 総ひのき・合掌造りの贅沢な造りでした。 ![]() |
昭和55(1980)年~ | 2度目の店舗改築。旧店舗で使われていた総ひのき・合掌造りの骨組みを活かして改装しました。 宴会も出来る蕎麦屋の先駆けとなりました。 ![]() |
昭和55(1980)年 | ![]() |
平成7(1995)年 | ![]() 産業道路の拡張事業に伴い、 現店舗へ改築しました。 |
※1 故人。新潟県潟東村出身 明治44年生まれ。
※2 故人。新潟県松之山町出身、大正2年生まれ。泉岳寺・魚らん坂 やぶ に従事。
※3 新潟県松之山町出身、昭和18年生まれ。